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2008.02.24 (Sun)

ギター歴、、

最近、遺言のようにここに記憶を記録として残してるな。。

まぁ、
自分のギター特性を忘れないように記録として残しておこう。


詳細は、「ロックンロールに憧れて 高校編とか大学編」に書いてあるけど、
ギターを始めて触ってから今までをまとめると、、


18歳で初めてギターに触る。
親父がギターをやっていたけど、
それまでは一切見向きもせず。
物心つく頃から、
ギターの音は聞いていたけど、
騒音以外の何物でもなかったな。。。

当時はもっぱらモーターレースに夢中だったので、
共通点というと、
14歳の頃、親父が「T-SQUARE」のCDを持ってきて、
ダビングした時、
当時のF1GPのテーマ曲があったので、
それが気に入ったくらいか。。
そういえば、
その時に、
親父がフェンダーとマーシャルを買って、
爆音とともに弾いていたな。。「TRUTH」を。。

ちなみにこのコミュの写真のフェンダーです。
私に所有権が移ってからはバリバリに改造したので、
今は原型はありませんが。
マーシャルも私のと別です。

けど、今思うと、
その音を聞いていて良かった。

で、
初めてギターを持つことになって、
たまたま家にあったギターをやることに。
ヴォーカル志望だったので、
半分やる気なし。

楽器はピアノが好きです。
今も変わらず。




唯一親父に教わったのは、
コードと右手の感じ。

とにかくコードを弾きまくった。
それと同時にストロークの変化も工夫した。

今思うと、親父は上手かった。。


そのおかげて、
大学の時、あらゆるジャンル、あらゆる曲をするとき、
大体は曲を覚えれば一通り弾ける感じだった。

これが安藤流の極意、コード・トーンにつながる。
ちなみにこの時点で親父他界。
生きてる内に伝承しておいて良かった。


さて、
次はリードのアドリブだけど、

さすがにコードだけの知識では対応できず、
独学でスケールの勉強をした。

親父はマイナーペンタトニック中心の、
ブルージーなアドリブだったので、
当時の私には時代遅れで古っぽく感じた。

後々、これがなかなかできない味だと気が付く。


それに対抗すべく、
私はメジャースケール中心の、
使い勝手が難しいアドリブを習得。
ハマれば強いけど、
ロックって、ほとんどがマイナー系なんですよね。。
無駄な反抗をしなければ良かった。

仕方なく、
ナチュラルマイナースケールを習得。
でも、親父と同じにはできない。

やっぱ、親父は上手かった(その2)。

その違いは何か、、


トニック音の捉え方が違った。

ああ、そうか、
ペンタトニック特有のトニック音を強調すると、
ブルージーな感じになるのか。
マイナーだけではダメなんだな。。とわかった。

当時、
ネオクラシカルロックと称して、
北欧の音楽が流行っていたんで、
イングヴェイとか、
エレジーとか、
他は思い出せないけど、コピーしてたな。

ジャーマンメタルもやったな。
ハロウィンとか、
レイジとか、

そこで、ハーモニックマイナースケールを覚えた。
結構好きな感じ。
これを覚えた時、
マイナースケールとは違った、
独特のマイナー感が漂い、
一次期、その当時のソロは、
どんなジャンルでもこのスケールを使っていた。
ミスチルとか、
オアシスとか、
別ジャンルの音楽でもやった。
今思うと、品がない。
でも当時は楽しかった。

さて、
スケールの使い方が理解できたんで、
そこから違うスケールの習得は速かった。
メジャー、マイナー、ハーモニックマイナーがベースにあるから、
メロディックマイナー、
ホールトーン、
ディミニッシュ、
とやってる内に、
その時やっていた曲では、
なかなか覚えたスケールを試すことができないことがわかった。


そこで、方向転換。

ヨーロッパからアメリカに渡り、
アメリカンなハードロックサウンドを勉強した。

特に気に入ったのが、
ミスタービック(ポール・ギルバート)
エクストリーム(ヌーノ・ベッテンコート)
で、
それまで半音下げチューニングだった音楽が、
レギュラーチューニングに変わったのが大きな変化だ。

もちろん音も明るくなった。

今思うと、
ミスチルやブルーハーツなど、
半音下げでやってたのが恐ろしい。

エレキギターそのものの弾き方の概念が変わった。
こうも自由になるのか。。と。

特に、
スティーブ・ヴァイ
を始めて見た時は衝撃だった。

体の一部だった。

親父が両腕で、
「桜、桜、」と弾き出した時以来の衝撃だった。

弾き方一つで、こうも変わるものか。
でも、どうやって弾いてたんだろ、気になる。

親父は、上手かった。(その3)


このころから、
インスト系の音楽を聴き始める。

ヴァイ以外には、
ジョー・サトリアーニ、
ジョン・ペトルーシ、
はよく聴いていた。

ペトルーシは、Sieunさんの影響で、
「ドリームシアター」を聴いたけど、
これは、難しい。

プログレッシブ・ロックというジャンルそのものが難しい。

このジャンルで日本では当時、
シャムシェイドが出てきてて、
そのコピーをやった。

シャムシェイドはファーストとセカンドまでは、
その路線だったけど、
だんだん変わっていったっけ、、
まぁ、
プログレは日本で売れるジャンルではなかった。。
でも楽しかった。
Sieunさんまたやりたいですね。


さて、
そろそろ自分のジャンルが見えてきたころなので、
活動を完全オリジナルへと移行する。




その時くらいから、
Jazzを聴き始める。

特に好きだったのは、
渡辺香津美、Char。

あまり濃いJazzでもなく、ロック色の強いJazzyな感じ。

ここでは多くのことを学んだ。
初めて音楽理論を勉強したのもこのころ。

チャーチ・モードのこの時点で学んだので、
一気にアドリブの幅が広がった。
スケールを多少知っていたので、
ポジションを覚えるのは楽だったけど、
実践で使い分けるのが難しかった。

このJazzyな辺り、
親父は上手かった。(その4)

そこで、生まれたのが、
セブンス・オクロック

リディアン・モード
の2曲。

実践でアドリブでやるという、
記憶の中でしか残らない曲。

このときは、リディアンスケールはもちろんのこと、
ミクソリディアンスケールが楽しかった。
個人的には、
ポールギルバートとか、
テレビのCMとかのイメージ。


ようやく、ギターも弾けてきたなぁ、、
というところで時間切れ、
現役を引退。


その後、
結婚して家のお上の影響で、
ボサノバとかハワイアンを練習。
ギターからウクレレに楽器を持ち替えた。
仕事が忙しく、
楽器は眠ったまま。。



8年の空白があり、



昨年、
これまたお上の影響で、
中田ヤスタカにハマる。

DTM環境を作って、
なにか曲を作ろうと動き出した矢先、
フュージョンバンド【ef-Style】と出会う。


時代はデジタル。
今風の曲を作りたいな、、
という気持ちが高まり、

また、ギターを手にした。


フュージョンは、昔親父がやっていた。
特に、T-SQUARE。

気が付けば、
親父と同じくYAMAHAのストラト使いになっている。

血は争えんな、と感じる。

そこで、
改めて思う。

右腕の上手さが決定的に違う。

親父は、上手かった。(その5)

やっぱり、ギタリストの上手さは右腕だな。。
年々親父の上手さを感じる。


とまぁ、
ギターをやる以上、
常にライバルには親父がいて、
それを超えることができるか、、
超えたか、、

と、
もう記憶での比較でしかないけど、
張り合うのである。


最近は、
また背後にそのライバルを感じ、
同志たちもみんな頑張っていて、
歳も歳なんで、
次のステップでは何ができるか楽しみだ。。r
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