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2008.03.08 (Sat)

私とギターと、、

物心付く前からギターの音を聞いていました。
親父がギターを弾いていたので。

ギターは18歳の時まで一度も触った事はありませんでした。
じいちゃんがギターは不良の持つものだ、と、
まぁ、昔の人の感覚ですから、それがどうというわけでもなく、私もギターには興味がなかったので。

私はピアノが好きです。
初めてピアノに触ったのは、10歳の時。
これも家にあった楽器の一つですが、楽器って、当たり前には無いんですよね、当たり前ですが。
家族の誰かが買ったから、そこにあるんですよ。
その事に気付いたのはギターを持った時ですがね。。

16歳の時、YAMAHAのTZR(250cc)が欲しくて、欲しくて、本当に欲しくて、1週間眠れなかった事があります。
知人にHONDAのCBR(250cc)を譲ってもらって、そこから眠れるようになりました。
この頃は、まだカセットテープの時代だったんで、音楽を編集して遊ぶのが好きでした。オリジナルのテープを持って、ツーリングが最高の幸せでした。

F1レーサーを目指してました。
親父に相談した所、反対されず、私はどうしたらレーサーになれるのか、調べました。
お金がかかる。分かったのはそれでした。
人生の中でお金は、夢を実現する為に必要なものなのだな、と実感したのはこの頃。
日本人ライダー阿部典文が鈴鹿で優勝したのは丁度この年。
F1では当時、鈴木亜久里が日本人最高位の3位が14歳の時。
2輪の方が、可能性があるな、、と。
それからは2輪に可能性を賭けて、ただ走りました。

18歳の時、事故を起こしました。
頭以外、全身包帯で身動きとれずの日々。。
二度と右カーブを曲がれない身体になってしまった。
後遺症だけを残して、私の回りからレーサーへの夢は消えました。

その夏、
バンドをする事になり、私は自分の意志とは裏腹に、色々あった結果、ギターを担当する事になりました。
『家にギターがあったから、、』
この先数年間、私と戦う事になる言葉です。

もともとやる気はなかったので、ギターやりたいと言ってきたクラスメイトにメインギターを任せ、私はコーラスしながらサイドギターをやりました。

18年間見てきた楽器なのに、使い方が分からない。
とりあえず親父に聞いてみました。
『まずコードを全部覚えろ』
とだけ言われ、コード表をもらいました。
私はとりあえず覚えました。

初音合わせの日、
全く合わない。
それもそのはずで、私だけコードを弾いているからだ。。
他のメンバーは楽譜通り。
帰って親父に猛抗議、、でも簡単に返り討ちにあう。
私の主張は、「コードを覚えたけど、全然違う。こんなんじゃギターじゃない」
それを聞いて親父、「まぁ、なんかCD持ってこい」
とりあえず今日やった曲を渡した。
曲に沿ってギターを弾き出す親父。
数分間、私の前で魔法が始まった。。

「初めて聞く曲なのに、なんで弾けるの、、?」
「コードだからだ」

言うまでもなく、それから私は親父の練習法に文句を言わなくなった。
バンドでは相変わらず邪魔な私の音。

2週間後、
「これ、知ってる曲を全部弾いてみろ」
と親父から渡された歌謡曲400曲を集めたコードブック。
知っている曲を弾いてみた。
ん?!
弾ける。歌える。
自分で自分が信じられなかった。
「これで弾ける曲が増えたな」
信じられないが、そうだ。今まで1曲練習していたのに、たった今、弾ける曲が何十倍にも増えた。
違う曲を弾いている内に私は気付いた。
速さとか、音の数とか曲によって違うのか。。
と言うより、その特徴を把握すれば、あとはコードなのか。。
バンドで課題曲だった6曲、その後一瞬にして出来たのは言うまでもない。

さて、突然出来るようになった私にバンドのメンバーが例の言葉を放った、、
『良いよな、ギターが家にあって、親父さんに教えてもらえて』
何とも言えない気持ちだった。
当時は若かったので、ブチ切れました。
なんか本当に悔しかった。。

それ以来、親父に教えてもらう事はなかった。

今まで以上に練習した。
当然上手くなる。しかしそれに反比例して悔しさは増す。
上手くなればなるほど、親父の存在をダイレクトに感じる事になる。
上手いのは親父であって、私ではない。
私が上手くなるのは、親父がいるからだ。
そう思われるのが、たまらなく嫌だった。
いつからか、ギターをする事は、私が私の存在を主張する行為となった。
時間が欲しかった。もっと時間が。
大学へ行けば、時間が手に入る。
でもこの18年間、勉強はした事がない。
当たり前だが、大学へは進学できず、浪人する事になった。

予備校へ行ってもそこでメンバーを見つけ、バンドをした。
それを知った親父は激怒。
「お前がギターやってまた浪人するのは勝手だ、でも他人を巻き込むな」
この時の絶望感は何と言っていいか。。
もっともだ。
ギターについては反抗ばかりしてきた私だが、この言葉には反論出来なかった。
その日以来、私は1年間、親父にギターを預け封印した。
大学の4年間、ギターをする為に必ず行く、と堅く心に誓った。

1年後、
かろうじて大学に行く事が出来た。奇跡だ。
2.0あった視力が0.2まで落ちた。
これを私は『受験の悲劇』と後に語り継ぐ事になる。


ここから4年間、私のギター人生が始まる。

つづく、かな。。(レ..%
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